そうありたいと思っても難しいな

戦後間もなく、五十代半ばで逝った親父は漢文が好きだった。北京からの引き揚げ組で、苦労がたたったのだろう。子供の頃新聞を読まされて、習っていない漢字が読めないと煙管でコツンと頭を叩かれた。その痛い事、まだ良く覚えていて忘れる無いだろう。良い面は漢字を覚えて、簡単な漢文ならいささか読めた事だろう。今は忘れてしまったが、懐かしい想い出に。近在の木工仲間が、「刻字」を持参して来訪。今年の2月、東京都立美術館の展示会で「秀作賞」を受賞したとの事。刻字は「中庸の徳」、写真は読めそうで読めない難しい漢字(自分にとっては)。立派なもので、びっくりポン。遥か昔の親父を想い出した次第。この文字は、(元)鶴見大学学長が揮毫したものとか。     中庸の徳・・・過不足なく丁度良い加減にバランスをとって行動できるのが、人徳として最高である。成程。孔子や聖徳太子ならいざ知らず、そうありたいと思っても凡人の己には難しいな。